
西日本を襲った広域にわたる豪雨災害、
死者は13府県200人を超え、10日以上経った今もなお行方不明者の捜索が続いている。
亡くなられた方々には衷心よりお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆さまには、お見舞いを申し上げます。
宝塚市消防も複数の隊員が広島で捜索・救助活動に参画していると聞いた。
被災地では、DMATによる急性期の活動が役割を終え、避難所を中心とする住民の医療の担い手として、JMAT日本医師会災害医療チームにバトンが繋がった。
当院からも真備町にJMATのメンバーとして参加する災害支援ナース、日本看護協会の要請により参加する災害支援ナースの派遣が決まった。
これより一足先に3連休を利用して呉市天応にポランティアに参加したCNSがいる。彼女によると、日中の避難所は介護支援が必要な被災者が残り、夜は自宅の清掃等で外出していた被災者が怪我をして避難所に戻ってきたり、精神的に不安定になる人が増えるようだ。CNSのポランティアは、2交代制でシフトを組んでバトンを繋いだそうである。避難所における夜間の医療体制の必要性を報告してくれたので、さっそく看護協会に貴重な現地情報を伝えた。18日からは、日本看護協会の災害支援ナースの派遣が始まり、シフト制も考慮されるとのことだった。
日々変化する現地のニーズに合わせて災害支援の対応も変わっていく。訓練のたびに刷り込まれる「情報を制するものが災害を制す!」つくづく情報の質と量の重要性を再認識させられる。
先日出会った診療看護師がいる。なぜ診療看護師をめざしたのかを問うと、きっかけは災害支援にあった。それは、東日本大看護の原点震災の被災地支援に参加したとき、あるナースプラクティショナーの資格をもつ看護師と活動を共にしたときの出来事に遡る。その看護師は病院なら当たり前に使用する医療器具を持たずに被災者と向き合い、抱えている問題を五感を使ってアセスメントし、看護していく様子を目の当たりにして、心を揺さぶられた。その原体験が診療看護師をめざすきっかけになったのだという。
災害支援、そこに看護の原点を感じた。
被災地はいのちの危険も感じる猛暑が続く。
被災者のいのちを守り、
生活を支えるという看護の原点、
それは看護師の使命。
現地でできる災害支援、
遠くからでもできる復興支援、
いまこそ考えて行動しよう。